2012年8月19日

アメジストのヒーリング



毎日引越しの準備でてんてこ舞いをしている。物を処理するのと、引越しの荷造りをするのが同時進行しているため、家中に物が散乱して、気分的にも落ち着かない。最近忙しくてクリエイティブなことをする時間を持てず、心がカサカサしていた。そうなると、体も重い感じになってしまう。

今日は思い切って、先月描いた一枚のタッチドローイングの絵に色付けをした。それはアメジストのヒーリングの絵である。

先月参加したリトリートの最後に、参加者一人ずつにアメジストの原石がプレゼントされた。タッチドローイング創始者のデボラさんは、リトリートの間ずっと会場の中央に置かれてあった29個の石が入った器を持ち上げて、「なんだかわからないけれど、最近アメジストとご縁があって、どうしても今回皆さんにひとつずつあげたいと思ったの。こういうのってニューエイジっぽくて、私の柄じゃないけど」と笑いながら説明してくれた。

石は参加者本人が選ぶのではなく、円になって座り、左隣の人が右隣の人のために選ぶという、デボラさんらしい方法だった。

私の左隣には、今回のリトリートで一番強く繋がったダイアンが座っていた。ダイアンは石の入った器が回ってくると、手を突っ込んで、迷いもせず一個をつかんだ。もう少しじっくりと選んでくれてもいいのにと思うほど、素早かった。しかし、さすがダイアン、独特な石を選んでくれた。

それは取っ手のような形をしており、握ると手の中にしっくりと納まった。持つと「道具」であるという感じがして、不思議な感覚になった。

私は、家に帰って間もなく部屋で静かに座り、石に来てくれたことを感謝して、ハートに石を当てて意識をつなげてみた。すると、体が勝手に動き出し、なにやら儀式のようなものが始まった。

直感で声を出していると、低い音とともに、アメジストと私は地球の核へと降りていった。そこには人類の過去・現在・未来を背負う胎児がいる。この胎児のへそとアメジストが繋がった。

胎児のいる空間には、胎児を見守るスピリットの存在が感じられ、そこは愛で溢れていた。アメジストはヘソを通じて胎児の中へと入っていくと、刻み込まれている人類の苦しみが体の外へと引っ張り出された。それは粘着性を帯びているが、外へ外へと引っ張り出されている。

私の中から自然に声が出てきた。低い音から次第に高い音へと変化していくと、石のエネルギーは声と共にトンネルを抜けるように上昇し、額の辺りからバイオレットとゴールドの強烈な光線となって広がっていった。

アメジストのヒーリング。変容の光は宇宙へと広がっていった。

Touch Drawing: Amethyst Healing (アメジストのヒーリング)



2012年8月1日

タッチドローイング・リトリートの体験 - 出現した土星


リトリートの3日目は、パートナーと組になって相手のエネルギーを感じ取り、ドローイングするというものだった。

通常は自分の内側にフォーカスして自分を表現するが、相手を感じて描くというのは初めてである。

28人の中から選ばれるパートナー。私のお相手は、最初に参加者全員がそろったときに、いきなり目が釘付けになるほど強烈に惹かれた人だった。彼女の名前はモージーン。内心「やっぱり彼女だ」と思った。

パートナー同士、向かい合って立ち、一定の時間、互いに相手の目を見つめたり、体全体のエネルギーを感じてみる。彼女は動物とコミュニケーションができる人で、とても優しい目をしている。この相手の目を見つめるというエクササイズは、セラピスト養成講座などでもやったが、いつも涙が溢れてしまう。

しかし、相手を感じてのタッチドローイングはやったことがなかったため、もし何のイメージも出てこなかったらどうしようかなどと、頭が余計なことを考え始めた。この相手を見つめている間、イメージはひとつしか来なかった。それを感じ取ってか、デボラさんが「何もイメージが来なくても大丈夫。意識せずに、普段どおりにドローイングをすればいいのです」と言った。

その唯一感じ取ったイメージを描くのだろうと、いよいよテーブルに戻って紙を前に目を閉じると、面白いもので、手はそれを描きたくない。それどころか、広大な宇宙空間にモージーンの魂の始まりのような漆黒の空間が現われる。

それを描き、新しい紙を置くと、やはり宇宙空間に、今度は紫色の球体が現われた。それが何であるかはわからないが、描くしかない。ボードには、すでに別の色の絵の具が伸ばしてあったため、紙を外して、紫色の球体を描く部分にだけ、わざわざ紫色の絵の具を塗って小さくローラーで伸ばし、紙を置きなおして描かなければならなかった。

ところが、紙を上に置くと下の色がわからなくなり、私は見事に的を外してしまった。タッチドローイングは一度描くと消すことはできない。しまったと思いながらも、それほど濃い色で出ていなかったので、紙を変えようともせずに、もう一度トライすることにした。今度は指がうまく紫のスポットに的中し、球体ができた。

できた絵を見ると、やはり失敗した方の球体が気になる。すると、指が勝手に動き、爪でその球体を消すかのように左右にカリカリと線を描き始めた。こんなことしても消えないのにと思いながらも、手は止まらない。

そのうちに線が楕円形の動きになり、球体の周りをグルグル描いていると体が熱くなってきて、「これは土星!そう、これは土星!土星じゃなきゃいけないんだ」という言葉が出てきた。するとその球体も「そうそう土星、それでいい」と返してくる。

頭は理解できないが感覚的には自信があり、この不一致がなんとも気持ち悪い。描いた後も、この土星のようなものの存在が気になって仕方なかった。




その後も新しい紙を置くたびに、特定のイメージが浮かび、それを忠実に描いていった。一時間ほど描き続けた後、お互いにシェアするときがきた。

私は、あの気になる絵をモージーンに見せた。見た本人が先に感想を言うことになっている。

「ああ、紫は私の好きな色なのよ。ふーん、宇宙って感じね。うんうん、なんか感じが伝わってくる」とモージーン。でも、何かを考えているのか、それ以上は何も言わなかったので、今度は私が描いたときに起こっていたことを説明した。

土星を指して、「実はこれ、失敗して残ってしまったものなの。でも消せないから、どうしようと思っていたら、手が勝手に動いて楕円を描き始めて、土星みたいな形になったの。そしたら、これは土星だってすごく主張している感じがするんだけど」

モージーンは目を見開いて言った。

「このリトリートに来る前に、占星術をやっている友人にリーディングをしてもらったの。その内容は時間がなくてまだ読んでいないけど、今年は私にとって人生最大というほどの大きな変化の年だって言われた。そこに、土星のことが書いてあったような気もする」

一瞬、鳥肌が立った。

それから二週間後、モージーンからメールが届いた。

「今日、あの占星術のリーディングの内容を車の運転中に聴いたの。今年、私にとって土星がとても重要な役割をするってことがわかったわ。この7月8日に始まり一年間、土星が色んな宮に入るって。だから、今年ものすごく重要な惑星なのよ。よくやったね、すごい!」

あの土星は、最初はイメージの中になかったのに、失敗することで偶然的に浮上した。しかし、偶然ではなかった。完全なプロセスをたどっていたのだった。なぜか「土星でなきゃいけない」と感じたのも、正しかった。

意識の深い場所から明かされる情報。それもこんな不思議な形で。不気味にさえ思える。タッチドローイングでこんな体験ができるとは思わなかった。

このとき、もうひとつの情報が、シンクロしたかのように、記憶の引き出しの中から飛び出した。

それは、無性に読みたくなって取り寄せ、リトリートに行く前に読んでいた著書「新しい芸術療法の流れ  クリエイティブ・アーツセラピー」に書かれていたことであった。著者は、東京で活躍されているアートセラピスト関則雄氏で、デボラさんの東京でのワークショップの主催者でもあった。

関氏は、アートセラピーのトランスパーソナル的な側面に焦点を当て、「より高い自己」と「現在の私」といった上下の縦軸として、私たちの意識が絵に描かれたシンボルを通して天体上の惑星とのつながり、メッセージを受けている事実を事例を挙げて説明している。

それによると、例えば、特定の惑星を描く数多くのクライアントの絵を占星術の知識を使って分析したところ、絵に描かれた惑星は、それが描かれた時間に進行中の当該惑星の位置と、それを描いた本人の出生図中の何らかの惑星と強い相関関係にあるという。

関氏はこう記している。
「人間の無意識は月よりはるか彼方にある惑星の動きを正確にキャッチしており、それを描画内容に反映させているという驚愕的事実を示している・・・このことは人間の意識が一方的に取り決めた秩序や規則というものを飛び越えて、無意識はもっと大きな秩序や法則と結びつき、それと共鳴していることを示している。ユングのいう集合的無意識とは、言い換えれば、このような大いなるリズムや秩序のエネルギーあるいは波動のことでもあると言うことができるであろう。・・・さらに、占星学ではそれぞれの星にはそれぞれの象徴的な意味が古来より付与されており、それにより各惑星が形成する座相の意味も異なってくる。つまり、それぞれの座相を形成した時は、それらの星からのその星が持つ象徴的なメッセージが、本人に投げかけられていることになる。これは、心理的な葛藤の由来は、出生以降のさまざまな体験やトラウマによるものという見方からさらにその枠を超えて、『自分は何故生まれてきたのか?』を含む大きな宇宙的視点からの理解を要求する。」

「モージーンの土星」の体験では、私という存在を超えた他者(モージーン)との関係の中(横軸)で、私という存在を超えた宇宙的視点に立った(縦軸)絵が現われた。

ペアになって相手を描くとき、タッチドローイングは、この横軸と縦軸の立体的なトランスパーソナル的側面を持つということを、今回身を持って体験できた。

また、この絵だけでなく、このときに相手のために描かれた他のすべての絵は、驚くほど本人にとって意味のあるものとなっている。

次の日記では、モージーンが私のために描いてくれた絵をシェアしたい。

2012年7月30日

タッチドローイング・リトリートの体験 - へその緒のトンネル



リトリート初日の夜、母に対して憤っている夢を見た。穏やかな波を突如襲う感情の嵐は、開放を求めて意識の下層から出てきたようであった。まだこんな感情があったのかと驚いたが、どうやら母の固定観念や古いやり方へのこだわりに対して不満があったようだ。夢は、自分は母とは考えが違うということから来る摩擦のストレスが余韻として残った。

そこで、この夢の感覚を絵にしてみた。

体に意識を向けてみると、この感情はおへその辺りから出ているようであった。竜巻のような感情の渦の中央に母の顔を描いてみた。すると、竜巻はへその緒に見えてきた。

私は、へその緒が首に巻きついて半死状態で生まれたことを思い出した。へその緒を巻きつけたテーマはドローイングをしていて以前にも浮上したが、今回の絵は自分のへそからへその緒が出ているという点で、大きく異なっていた。

最初、母の想いを首に絡めて生まれてきたような感覚になり、過去にセラピーのセッションで体験した、母と自分が重なり合っていた感覚や、私の体の中から過去世からの母の古い思念が出てきたことなどが腑に落ちた。

私はハートの部分に3つの円を描いた。中央には、2つの円とそれを統合する円とが交わる空間があった。それは、すべてを超越した漆黒の宇宙空間であった。


感情に対するこだわりが消えると、描いた母の顔はもともと表情がなく、これは母ではなく、自分という感じがしてきた。

この後に引いたソウルカードの人物は、まさにその自分自身を表しているようであった。赤い丸がへその緒の断面のようにも見えてきた。



このカードを味わってみると、そこには孤独と安らぎが感じられ、休息している、溜めている感じもする。いずれにしても「管の中に入っている」感じがしたため、そこにフォーカスして、今度はへその緒という管を外から見ているイメージを描いてみた。

興味深いものが出来上がった。最初、首を伸ばして息をしようとしているように見えたが、別の日に見てみると、ボルテックスの中にいて、エネルギーのトンネルの中で癒されながら拡大していく自分のイメージが来た。


うずくまっていた姿勢から、大きく伸びていく姿勢へと変化するとき、変化の中で起きる古いものと新しいものとの摩擦のストレスを感じながらも、古いものを脱ぎ捨て、またひとつ新たな段階へと進んでいく自分がいた。


Introspection for Growth (内省と成長)

2012年7月29日

タッチドローイング・リトリートの体験 - 絵が語る



2日目の朝食前に、舞踏家の人がリードするムーブメントのセッションに参加した。朝起きて一日の活動を始める前のムーブメントということで、まずは自分の全身の肌から始まり、次に内臓、骨、筋肉と順に感じながら体を動かしてみるというのをやった。内臓に意識を向けたとき、特に腸の部分が気になったため、午前中のドローイングでこれを思い出して、腸の感覚を描いてみた。

両手の指をぐにゅぐにゅさせながら腸を描いていると、この感じは脳に似ているなあと思えてきたので、紙の上の方に同じような指の動きで脳を描いてみた。そして、この2つの臓器を背骨でつないで血管のようなものを描いてみると、いきなり腸が語りだした。

「食べ物を詰め過ぎると私(腸は)嬉しくない。軽いほうが動きが良い。うまく機能できるのだ。腹八分目という言葉があるように、詰め込み過ぎはよくない。むしろ空っぽくらいのほうが力がみなぎって、吸収力が抜群に働くのだ」

ははあ、と思って見ていると、今度は脳も語りだした。

「私(脳)も腸と同じ。マインドが忙しいと、ろくな働きができない。頭に考えがいっぱい詰まっているとうまく機能できない。むしろ空っぽの方が直感や閃きが入って来やすく、入ってきたときにすぐ気づける。人生を推し進めるのは、直感や閃きのほうなのだ。受け取って、それに基づいて動く。生き方がシンプルになりエネルギーを効率的に使え、充実する」

私は楽しくなってきたと同時に驚いた。なにげなく描いた絵が人格を与えられたかのように語り始めるとき、絵は異なる次元を帯びてくる。

この腸は男性的なエネルギーを発し、語る言葉も力強い。体の中でも古い臓器のようで、妙に存在感がある。私が入れる食べ物をいつも黙々と処理して陰で働いてきた腸に、こんなふうに諭されるとは。

脳も腸の言葉を支持し、私に訴えかけてくる。なるほどと思いながら絵を見ていると、この2つの臓器は違う場所にあるが、同じなのだということが伝わってくる。そして、単に機能的なこと以外に、特別重要な役割を果たしていると言いたがっているようでもある。

The Intestine and the Brain (腸と脳)



デボラさんがタッチドローイングのデモで顔を描いたが、今回は通常の描き方に加え、自分の顔の部分をひとつずつ感じながら目を閉じたまま描いてみる方法を教えてくれたので、それを試してみた。

まずは目。大きく見開いた感じなのでそれを描き、鼻もしっかりとした感じ、口は「オーム」という音を発している感じがしたため、それを描いた。そして目を開けてみると、目も鼻も口もそれぞれが存在を主張していて、自分が思っていたよりもずっと大きく描かれていた。

最後に額の部分にグルグルと渦巻く円と顔の輪郭を描くと、それは、あるミュージアムに展示してあった先住民のシャーマンが着ける仮面を思い起こさせた。目と口は異次元への出入口のようであり、そこから吸い込まれていくような感覚になった。

この目はしっかりとすべてを見ている。闇の中も見通せ、真実を見抜ける目。額から情報をキャッチし、口から息が吸い込まれると、そこから調和の音が発せられる。その波動は闇の中に響き渡り、漆黒の闇から光と共に変容がもたらされる。

心の目で感じた自分の顔は、物理的な自分の顔とはあまりにもかけ離れていて、ある意味「常識から外れた」顔である。しかし、常識ゆえに気づいていない自分、遠い記憶のような質を持った自分が深遠な場所から出現した感覚を味わうと、その瞬間、自分の中で何かが弾けた。

色を塗り、「シャーマンの仮面」というタイトルを付けた。これは私にとってインパクトのある意外な絵となり、お気に入りの絵のひとつとなった。

Shaman's Mask (シャーマンの仮面)

2012年7月27日

タッチドローイング・リトリートの体験 - 初日


先々週に参加したタッチドローイングのリトリートは、5泊6日ということもあり、通常のドローイングに、ムーブメントや発声、パートナーを感じ取ってのドローイング、屋外でのドローイング、ラビリンスを歩く瞑想、沈黙の日など、深い体験を促す要素が組み込まれた総合的なものとなり、また、必要な人にはセラピストやボディワーカーのサポートも提供され、ゆったりとした時間の流れの中で、存分にドローイングができた。

絵の具を塗った紙の上で感じるままに指を動かすだけという極めて単純な手法が、実は深い心の世界を見事なまでに映し出し、その瞬間に起こっているプロセスを浮き彫りにするだけでなく、高次の意識からのメッセージまでもが形と共に現われる。

タッチドローイングは内なる自分との対話のプロセスそのものであり、描いている自分を常に見守っている自分がいる感覚があり、そこにはごまかしも嘘もきかない。ただ、真実があるのみである。

デボラさんと参加者全員で作る、神聖とも言える絶対的に安全で守られた場の中で行うドローイングは、6日間の間に大きなグループエネルギーの渦の中で、自分の指からこぼれる出る情報を明らかにしていった。

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ここから、描いた絵のいくつかをご紹介します。

リトリートは初日の夕方、全員で夕食を共にすることから始まった。その後、夜に描いたもの。リトリートのウォームアップとして、体にフォーカスしてみると、ごく自然にエネルギーの流れが描かれた。








 この日は晴天であったが、夜中に突然稲妻とともに雷が鳴り、この地には珍しく雨が降った。それは、天と地からの祝福のサインであった。日中は晴天なのに夜中に雷が鳴るという日が何度かあり、リトリート最終日はフィナーレのように、朝から雷がとどろき大雨が降った。リトリート中、ずっと私たちは祝福されていたのを感じた。

放たれる稲妻の光は、雨と共に大地に滋養となるエネルギーを与える。雷のスピリットと繋がるとき、人は天と地を繋ぐ避雷針となり、創造のエネルギーを放つ媒体となる。

The Catalyst - Connecting with Thunder Beings (媒体になる - 雷のスピリットと繋がる)

2012年7月20日

2012年 タッチドローイング・リトリートの体験 (1)







先週、年に一度開かれる5泊6日のタッチドローイング・リトリートに参加した。場所は、シアトル沖のビュージェット湾に浮かぶ島ウィッビーアイランド。

この島の深い森の中にあるリトリートセンターに、アーティスト、ソーシャルワーカー、ボディワーカー、教授、会計監査官、セラピスト、カウンセラー、シャーマン、ヒーラー、アニマルコミュニケーター、鍼灸師、舞踏家、学生など、様々なバックグラウンドを持つ女性ばかり29名が、全米各地およびカナダから参加した。

私にとって、参加することは勇気のいることであった。5泊6日もの長い時間を30名近くのアメリカ人と共に過ごすことを考えるだけで、怖気づいたからである。

しかし、この秋に仙台に移ることが決まると、ここでの残りの時間をいかに過ごすかということが突然重要な意味を帯びてくる。

もう迷っている時間などない、今やらずにいつやるの?やらずに後悔するよりは思い切って飛び込んだ方がいいじゃないと、私の心は腹をくくることを迫ってきた。

えーい!と思考を止めて、オンラインで参加申込書に記入し、コンピュータの送信ボタンを押した瞬間、私は見えない膜を一枚くぐり抜けた感覚を覚えた。そこからは、体が熱くなるような力とワクワク感が湧き上がってきた。そうだ、その調子!

マインドが押さえつけてきた冒険好きで天真爛漫な部分の自分は、やっと表現できるスペースを与えられて喜んでいた。天はそれを祝福してくれたがごとく、当初、思考が壁となって私を不安にさせていたことは、すべて消え去った。私の中の力関係が逆転したのだった。

現地に到着すると、言葉の壁がある(英語で十分に表現できない)から人と繋がれないかもしれない、内から起こる感覚的なことを十分シェアできないかもしれないという不安は消えていた。ハートが開くとこれほどまでに変わるのかと思うほど、落ち着いて堂々とした自分がいた。

初めて会う人たちばかりなのに、懐かしい。どんな人なのか知ろうとする必要もない。特定の人とは心と心が引き合い、魂レベルの会話が始まる。ハートからの言葉が通い合う喜びに涙し、抱き合う。深い安堵感と充足感。心の家にいた。

神秘に包まれた深い森の中で、落ち着いた成熟した人たちと過ごした6日間。それぞれの持つユニークなエネルギーの糸が重なり合い、繊細で複雑な模様を織り成し、それは日を追うごとに美しさと輝きを増していった。

私は今回、タッチドローイングの創始者でこのリトリートを主催しているデボラさんは、真に自然との調和に生きている人であることを知った。参加者が部屋のベッドで眠るとき、デボラさんは屋外の草の上で寝袋で寝ていた。大地に触れ、太陽を仰ぎ、風を感じ、星空を眺め、それらと繋がり一体になる彼女、大木や大地に額を付けて感謝する彼女の中に、敬意を払い謙虚であることの美しさを見た。そこに神聖さを強く感じた。

そうだ、これなんだ、私が欲していたものは。私は深みを求めていた。彼女が提供するタッチドローイングの場には、神聖さがある。彼女がドラムを叩き、楽器を奏で、歌を歌うとき、そこには万物に対する神聖な祈りのエネルギーが込められているのを感じる。彼女の声に、ドローイングを行う者の心の世界が静かにごく自然に開き始め、そこから神秘が物語を語り始める。

リトリートの開始日と終了日に、稲妻と雨のスピリットから祝福を受けた。フクロウのスピリットとも繋がった。会場でのドローイング、パートナーのエネルギーを感じるドローイング、森の中でのドローイング、ムーブメントの後でのドローイング、ラビリンスを歩いた後のドローイング、そして野生に帰るロングダンス。

夜の森に、野生の声が響き渡る。ロングダンスではドラムを叩き、ラトルを振って、私は男性でもあり女性でもある自分を体中で味わった。自分の中で眠っていたネイティブの感覚が蘇り、ドラムのリズムに体が躍動し、声を振り絞って歌った。疲れることもなく2時間以上ぶっ通しで踊り歌った。

とても懐かしい感覚。やっと出会えた。調和の祈りと感謝と共に大地に生きる感覚。神聖さ、強さ、しなやかさ、温かさ、美しさ。

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深い体験をもたらしたタッチドローイングの6日間で描いたドローイングを、次回から少しずつシェアしていきます。

リトリートセンターは深い森の中にある


マジカルな世界


朝の森は、霧の中で神秘のエネルギーが渦巻いている。
宿泊施設から毎朝ここを通って会場へ。


グランドマザー・創造のスピリット 


リトリートセンターではエコライフを実践している。
敷地内の羊は、食べ残しのメロンの皮を食べてくれる。


地元のオーガニック野菜をたっぶり使った心のこもった食事 




敷地内の大木


この土地のネイティブのマスク



2012年7月7日

人生の青写真 - シアトルから仙台に移り住むことになった


生まれるときに決めてきた人生の青写真と言われるものは、きっとあるのだろう。私はこれまでに、それを垣間見る瞬間が何度かあった。アメリカ留学や結婚もそのひとつである。その瞬間がやってくるとき驚きはなく、常にそこに静観する自分の存在を強く感じる。まるで地図にピンを刺して、今このポイントに来たよと言われているのを黙って聞いているような感覚である。

夫が東北大学会計大学院でスピーチ・コミュニケーションを教えることになり、この10月から5年間、私たちは仙台に住むことに決まった。この話は天から降ったか地から湧き出たのか、いずれにしても、本人たちの通常の意識からは来ていない。

それは、昨年秋に私が帰省した際に、具体的な形として突然やって来た。当初私だけ日本に帰る予定だったが、誕生日も感謝祭も夫一人で過ごすことになるのはあまりにもかわいそうと思い、日本へ遊びに来ないかと誘った。「たまたま」飛行機のマイレージが溜まっていたため、夫は高い航空運賃を払うこともなく、運よくスケジュールもとれて1週間ほど遊びに来れたが、仕事が入って結局実家に立ち寄ったのは2日ほどだけ。すぐに帰る日が来てしまった。

私より先にシアトルに戻ることになっていた夫は、羽田から夜中の便に乗るまでの時間が空いたため、東京に住んでいる友人Dさんに声をかけて夕食を共にした。

大学で教える話は、その夕食の席で突然もちあがったのだった。Dさんは、もともと私がシアトルで留学していたときにシェアハウスに住んでいた人だった。彼は日本人女性と出会い結婚し、日本で生活している。その彼は東北大学での契約が満了したため、後任を探しているとのことだった。彼は私を通して夫を知ったが、今では私よりも夫の友人になってしまっている。2人は同じ年に生まれ、誕生日が2日しか違わないという、これまた不思議なご縁なのである。

夫は弁護士になる夢を持ち、法律を勉強して弁護士になったものの、最初の就職先で入社した年に人員削減のため首を切られてしまった。結婚して1ヶ月後のことである。ローラコースターは急降下した。人生最初の挫折だったのだろう。ショックの状態が続き、高学歴が災いし、夫がかろうじて翻訳の仕事を始めるまでには数年かかった。

ある日翻訳会議でプレゼンテーションをするはめになり、人前でスピーチをした経験がなかった彼は「トーストマスターズ」というパブリックスピーキングなどのコミュニケーションスキルを磨く会に入った。入ってみたら面白くて、そこから会にのめり込んでいった。ボランティアで数年間大役も勤め、仕事や日常生活が危ぶまれるほどのめり込み、私は夫に怒り、会や会員の人たちを恨んだこともあった。

しかし、人生は本当に何が幸いするかわからないものである。

今回の東北大学の話は、夫の学歴とその会での経験がなかったら来なかっただろう。翻訳業は悪くはないが、家にこもって翻訳の仕事をしているとき、夫はイキイキしてはいない。しかし、人と接し、コミュニケーションスキルを人に伝え、教育し、人を育てる活動をしているときは輝いている。「いつか、これがライフワークになるといいね」と夫に言ったとき、嬉しそうな顔をしていた。

寝食忘れるほど好きで人より楽にできて、自分ならここをこう変えてこうやりたいと思うこと。彼の天性の仕事はコミュニケーションスキルを人に教え、育てることのようだ。翻訳ではない。

私はいつか夫にチャンスがやってくることは薄々感じていたが、こちらが探してもいないときに、向こうからやってくるとは2人とも夢にも思わなかった。YESと返事をしたのは冬のことだったが、その後大学側での審査や会議が遅れに遅れ、先日7月4日、町のあちらこちらで独立記念日の祝賀の花火が上がっているときに、正式な返事が届いた。

このタイミングは、私にとって象徴的だった。

26歳で留学を終えて日本に戻り、東京で生活していたときも、絶対にまたアメリカに戻ってアメリカで仕事をしたいと心に決めていた。毎日毎日「アクエリアス」という曲を聴いていた。歌詞はわからなかったが、その曲を聴くとなぜか熱い思いが沸きあがる。絶対にシアトルに戻る、と決めていた。

それから2年後、夫と結婚をするために日本を離れた。ちょうど20年前のことだった。親や日本から離れることは、私にとって意味のあることだった。私はそうすることで体験し、学ぶことが必要だったのだろう。親や日本から離れさえすれば、抑圧から解放されると信じていた。しかし、それは間違っていた。

あるときから日本へ引き戻される流れが始まり、日本でカウンセラー・セラピスト養成講座を受講して、パーソナルパワーを取り戻し始めた。そして、マインドの開放こそが真の自由だということを身を持って理解できたとき、東北大学からの話がやってきた。アメリカ植民地がイギリスからの支配を拒否して独立を宣言した日に、日本へ戻ることが正式に決まった。この流れはあまりにも、できすぎていやしないか(笑)。

友人Dさんは一体何者なのだろう。夫と私と約束して、えらい大役を引き受けてきた魂なのだと思う。なぜなら、私が彼と同じシェアハウスに住んでいたときに、彼の母親がかつてミュージカルに所属しており、6070年代に自由を求めたヒッピーをテーマにしたブロードウエイでのミュージカル「ヘアー」の曲が大好きなのだと話してくれ、他にも8人の住人がいる中で、よりにもよって私にテープをくれたのである。そのときは、もらっておきながら何も関心がなかったが、苦しい東京暮らしをしたときに、毎日毎日テープが擦り切れるほど聴いた。シアトルに戻ることを自分に固く誓って。「アクエリアス」は最初の曲なのである。

昨日、歌詞を拾ってみた。なぜあのとき胸が熱くなったのか、納得できる。

Aquarius

When the moon is in the Seventh House
月が第7宮にあり
And Jupiter aligns with Mars
木星が火星と整列するとき
Then peace will guide the planets
そのときこそ、平和が惑星たちを導き
And love will steer the stars
愛が星々の進路を定める
This is the dawning of the age of Aquarius
これこそがアクエリアス時代の夜明け
The age of Aquarius
水瓶座の時代
Aquarius! Aquarius!
アクエリアス! アクエリアス!

Harmony and understanding
調和と理解
Sympathy and trust abounding
思いやりと信頼が満ち溢れ
No more falsehoods or derisions
虚偽と愚弄がなくなる
Golden living dreams of visions
黄金の命輝く夢が描く未来像
Mystic crystal revelation
神秘的なまでに澄み切った啓示
And the mind's true liberation
心の真の解放
Aquarius! Aquarius!
アクエリアス! アクエリアス!


仙台行きは、夫だけでなく私のためのタイミングでもある。そう、2人にとってのタイミング。

これから仙台への引越しで忙しくなりそうである。