2008年1月24日

溜め込まず分かち合う (8/21/2007ブログ)

溜め込まず分かち合う。ここ数日、この言葉が何度も私の中で響いている。

収穫のときを迎え、自然は1人では食べきれないほどの豊かな実りを与えてくれている。なのに、それを十分に分かち合っているだろうか。

これに関することが3つあった。

1つは反省したこと。
私はここ9年ほどオーガニック畑で色々な野菜を作っているが、冷蔵庫の中で古い野菜を次々に新しくとれるものの下敷きにして腐らせてしまうことがある。先日このメッセージを受け取ったときに寄付に出そうと思いつつ、そのままになってしまった。遅かったか!今日チェックすると、案の定、きゅうりが2本腐っていた。あぁ、なぜあのときすぐに残っていた分を惜しみなく寄付しなかったのだろうか。きゅうりさんに申し訳ない。欲張って溜め込み過ぎていた。反省。

2つめは感動したこと。
私は、シアトル市が所有する土地で「1件に1つの畑を!」をモットーに運営されている「P-Patch」と呼ばれる組織に参加して畑をしている。そこには100を超える区画があり、たくさんの人が野菜や花を作っているが、余った野菜を1箇所に集めて、定期的に市内のFood Bankやその他の施設に寄付することになっている。

先週、ズッキーニときゅうりがたくさんとれたので、そのほとんどを収集場所に持って行ったところ、ある老人施設からのお礼の手紙がそこに置いてあった。「収入が限られている私たちには、このような新鮮な野菜が手に入ることがとても有難く、皆さんのご親切のお陰で、厳しい生活がほんの少し楽になっています。これからも、どうぞご寄付をよろしくお願いいたします」というような文面で、住人一人一人の署名が末尾に連なっていた。ゆがんだ字、弱々しい字、波打っている字など・・・。深くしわ寄った手に鉛筆を持ち、小刻みに震えるこわばった手で一生懸命署名したお年寄りの方達の姿が目に浮かび、胸が熱くなった。

高齢になって経済的に不安であるというのは、さぞ心細いことであろう。でも、私も何かの役に立っているのだ。そう思うと、ほんの少しの野菜を寄付しただけなのに、とても嬉しくて心が満ち足りて、その日は1日中気分がよかった。これからは、惜しみなく寄付しよう。

自然が与えてくれるものを分かち合うことは当たり前のことなのに、いつしか私たちは抱え込むことしかしなくなってしまった。でも、これからは違う。人が助け合って分かち合うことの素晴らしさが広がる、その時期に来ている。そう感じる。

3つめは力が湧いたこと。
本日8月20日付けの新聞 Seattle Post IntelligencerのB面(地域の出来事)に、庭で食べきれず、とらなかったら腐って落ちてしまう果物を、連絡1つでボランティアがやってきて収穫し、付近のFood Bankに寄付するという記事があった。このプログラムはいつ始まったかは書かれていなかったが、シアトル市内の多くの地域で行われているとのことである。

昨日、雨で道にたくさん落ちているりんごを見て、そのほとんどが食べられそうだったので、このまま腐るだけなのはもったいないな~と思っていたところである。他にも、そう思っている人がたくさんいるだろう。

個人レベルで動きが始まっている。そして、それをサポートする体制ができつつある。この記事によって、寄付する人とボランティアをする人が共に増えるだろう。素晴らしいことである。

溜め込んでも腐ってしまうと無駄になる。生かされていないのである。私も、私なりに与えられた実りを無駄にすることなく、分かち合おうと気持ちを新たにした。


最後にもう1つ。
食べ物だけでなく、自分が学んだこと、気づいたことも「溜め込まず分かち合う」ことで健全な循環が始まる。

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