2012年3月16日

自分は大河の一滴という感じ - タッチドローイングの世界


「今朝起きて、ふと思ったんや。大河の一滴という言葉があるけど、ああいう感じやな~」
82歳になる父が、台所で母の朝ご飯の支度を手伝っている私をつかまえて言った。

「えっ?!」朝っぱらから、いきなりそんなどでかいスケールの話をされて、何かと思った。

「昨日描いた絵のことを考えとったら、大河の一滴、そうそう、自分は大河の一滴という感じやなあと思ったんや」

「・・・・」

昨年帰省した際に、実家に姉と甥が遊びに来たため、父を交えてタッチドローイングをすることになった。

普段、外で内的なワークをしているが、家族とこういったことをするというのは茶化されたり敬遠されることが多く、なかなかできるものではない。

幸い、父は20年近く木版画や水墨画を趣味でやっており、姉は昔から絵画の鑑賞が好きであり、甥はアニメに夢中なので、3人ともドローイングに心を閉ざすことなく、遊び気分でやることに承知してくれた。かえって誘導する側の私の方が、自分の家族から私の知らないどんなものが出てくるのか、内心ドキドキしていた。

感じるままに指を動かして内側を表現するタッチドローイング。1時間ほど描いてもらったが、3人とも力が入って、紙全体を指で塗りつぶすような動きをかなり長い時間続けており、形をなさない混沌とした重い感じの絵が次々と出来上がった。

ああ、みんな口には出さないが、うちの家族も内に秘めた色んな感情があるんだなあと思って見ていると、あるときを境に次第になにやら形らしいものが現われ始めた。

甥は家のような構造物を描き始め、父は自然の風景を、姉は小さな丸をいっぱい繋げた鎖のようなものを描き始めた。そして、最後に甥は昇龍を、父は大きな山を、姉は大きな円を1つ描いた。

描いた後にそれぞれシェアをしたときに、極めてシャイな甥は気持ちよさそうな表情で龍の絵を見せてくれ、姉は「それは円ではなく、自分が球体である感じがしたから球体を描いた」と言ってホロリと涙をこぼした。父は山と自分が一体になった感じがしたと言った。

混沌とした世界が続いていたときは一体どうなるのかと思ったが、3人ともごく自然に、最後には日常の意識をはるかに超えた意識の領域に辿り着いているのは興味深いことだった。

そして、皆それぞれ自分の描いた絵から自分でも気づいていなかった側面が出てきたことに驚き、同時に、自分が表現したものから開放感を得ているようであった。それはシェアの段階では言葉にはならなかったが、各人の深い部分で何かが動いていることが感じ取られた。

「大河の一滴という言葉があるけど、ああいう感じやな~」一晩置いてから出てきた父の言葉。シェアの段階では言葉少なげだった父は、描いた絵の世界を自分の中で整理していたのだろう。

自分という存在は自分が普段思っている以上のものであること、通常の意識よりもはるかに大きな意識の存在であることを、自分自身が表現することで実際に体験したら、それは自分にとって力強く頼もしい味方となってくれる。


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昨年タッチドローイングを体験したお二人の感想を絵と共にシェアさせていただきます。

親業と和みのヨーガのインストラクターでMさんは、そのときのご自分を見事に客観的に捉えていらっしゃいます。


「オモシロかった。ひたすら描きあげた70分。作品は19枚。昨日の作品の19枚目。
私は花を描きたかった。描いたら華だった。


一人ひとりが自分の持っているものをgiveするために手を差し出している。
その中心の華芯には自分もいる。順番を待って力を蓄えているところ。

うん?これって、最初にひいたカードの印象じゃん(ワーク前に引くソウルカードのこと)。


そうか、私はやっぱりいまは準備中なんだ。」


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5月に大分でコラボをさせていただくボディワーカー・サイコセラピストの椋梨さんは、描いているうちに広大な意識のレベルへと繋がっていきました。

1時間、ただ手で絵を描き続ける。ボードに絵の具 を出し、ローラーで静かに慣らしていく時間は、墨をする時間と同じ静寂を感じる。薄紙を置いて、静かに内側を感じ、ただ好きなように手が動くままに描く。 両手で、指の腹を使って、爪でひっかいて、手のひらで撫ぜて、思うままに描く。

夢中で描いた。だんだん楽しくなって、ローラーで伸ばす時にテンテン叩いて遊んだりした。打ちつけられる絵の具を見ているうちに、音が聴こえてくる気がした。

オーロラが身体から出てきた。そのまま両手でうねりを描いた。


銀河が出てきた。最初は真ん中の星から両手が渦を巻いた。5本の指が自由に紙を叩いていくと、星が無限に現れ始めた。

トン、と叩くと星がでてくる。私の指から銀河がこぼれてくる。はじめての感覚だった。


それから三本の木がまぶたの向こうに見えた。木を描いた。そしたら葉っぱが出てきた。葉っぱが育った先からは花がでてきた。がさがさした太い幹の根っこを 感じていたら、土のなかからいろんな声がした。枯葉の間を這い回る虫たち。土のなかで芽を出しかけている種。その周りを掘るミミズ。微生物。まだ生きてる もの。もう腐りかけてるもの。腐りながら新しい命をはぐくんでいるもの。


 そのハーモニー。交響曲が聴こえてきた。左手が歌う。右手が応える。地にもぐったり、光に飛び出たり。いのちはめぐり、まわっていた。そのすべてを、私の身体は知っていて、私の手は生み出していた。

月の道を描いた。古生代を描いた。愛を描いた。雨の音を描いた。宇宙の耳を描いた。

そして風を描いた。

私の源。オリジンに触れた。そこには無限のエネルギーがあった。そこにはすべてがあった。

今回の体験は、わたしのなかで今生まれようとしている私自身の産道になる。

そんな予感がする。


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5月に岡山にてHeart of Lifeの文殊さんと、大分ではボディワーカー・サイコセラピストの椋梨晶子さんと、それぞれお二人の主催で、タッチドローイングにそれぞれお二人のオリジナルワークを織り込んた2日間のコラボによるワークショップを開きます。

岡山 5月19日(土)・20日(日) 詳細は追ってお知らせします。
大分 5月26日(土)・27日(日)詳細はこちらをご覧ください。http://db.tt/LIeXX0F3

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